はと X脚 変形性膝関節症 骨切り記録

10才で左膝外側円板状半月板摘出、40代で同膝の末期の変形性膝関節症。生まれつきのX脚で外反が増悪。45才で遠位大腿骨骨切り術を受けたので、その記録。

手術に至る経緯

手術にいたるまでの、左膝ヒストリーです。


▼10才
左膝の円板状半月板で膝のロッキング症状。膝を曲げると「ボキン!バキン!」と音がした。
東京女子医大で半月板全摘出の手術(当時は全摘出が行われていたが、現在は残すほうが主流だそう)。
整形外科に一ヶ月くらい入院。手術後は足が燃えるように痛く、足の付け根からつま先までグルグル巻き。頻繁に膝に注射をして血を抜く。イソジンみたいな液で消毒。包帯の中がかゆくて、棒で掻いてた(昔と比べると今の医療は進歩している!)

退院後は松葉杖。若いのですぐ慣れて、大変だった記憶も無し。
以降、運動部の活動などは控えるが、もともとインドア派なので普通に生活。

▼10代、20代
もともとX脚のところ、左脚が曲がってきた気がする。
スキーやエアロビクスをした後は、左膝がパンパンに腫れた。
痛み以外、歩きづらさなどはそこまで感じてなかった。正座もできてた。

▼30代
出産、育児で膝を酷使。子供のために、後のことは考えず動いちゃえ、という感じだった。角度はさらに外反していき、外側の関節がぶつかった時に激痛。小走りする際は、引きずる感じ。「左脚が曲がっているね」と人から言われるようになる。
昔と違い、膝は痛くても腫れなくなった。
和式トイレでしゃがめなくなり、しゃがめないし正座ができないことに気づいた。
左膝だけ曲がらない。
整形外科へは湿布がなくなると通院。リハビリに来いと怒られるが、仕事の時間外にやっている病院が無いので仕方ない。「今の脚だと確実に歩けなくなる。60歳すぎたら人工関節なので、そこまで対症療法」と言われる。
ヒアルロン酸を両膝に注射。注射がものすごく痛いうえに左膝では効き目を感じなかったのだが(右膝は効いてた)、湿布をもらいにいくと打たれてしまうので仕方ない。5回ずつを1週開けて延々と苦痛しかなかった。

▼40代
左脚は明らかに外反。曲がりは120度くらい?伸びも5度くらい。平らに足を伸ばせない。
床から立つのに手をついて何段階も手順を踏まないと立てない。
低めの椅子に座っていると、左膝が痛い。歩き始めがこわばって痛いので、ヨボヨボ歩きになる。
歩くとき、一歩ずつを痛みが出ない角度にしようと常に意識している。ぼんやりして歩けない(いつも一歩一歩のことを意識している)。
立っているのがとても疲れる。膝と膝をくっつけて、テコの原理みたいにして休憩してた。
立っている時も歩いている時も、体が傾いていると自分でもわかる。左脚は太ももから持ち上げて歩くイメージ。小走りでは、左膝から下はぶら下がっているだけで、引きずり進む感じ。
夜中に寝返りした時に関節がぶつかり、痛みで目覚める。膝がまっすぐ伸ばせないので、仰向けで大の字に寝ると、関節を反対側に曲げ続けたようなこわばった痛みになる。そうなると、自分で足を戻せないので、ズボンをひっぱって横向きに戻し、痛みがおさまってからまた入眠する。

▼45才(手術直前)
満員電車での通勤が辛く、子供の受験に合わせて家の近所に転職。転職の条件で脚の負担の優先度が上がってた。
普段の生活だけでも痛くて疲れて、脚を切ってしまいたいと思っていた。
整形外科では、リハビリに来ないと怒られ、ヒアルロン酸注射は注射痕の痛みがおさまる頃に次の注射で苦痛すぎて行きたくなくなる。しかし湿布が欲しい。
開業したての整形外科に駆け込み、進行した変形性膝関節症である・ヒアルロン酸注射をしたくない・湿布が欲しい旨を説明したら、理解を示してもらい「ロコアテープ」という新しい湿布をMAXまで処方してもらえた。
今までのロキソニンテープと比べ、ロコアテープは劇的に効いた。無理をして膝が痛む時、ロキソニンテープだとおさまるまで一ヶ月くらいかかったが、ロコアだと翌日におさまった。
もうロコアテープで60歳まで耐える覚悟をしてた。
通い始めて1年後くらいに、子供が怪我をしたので同整形外科でついでに自分もレントゲンを撮ってもらった。
レントゲンを見て先生が「これは90歳の膝。今までよくこの膝で頑張ってきましたね」と言う。
「今は人工関節だけじゃなくて骨切りという手段もある」とのことで、大学病院を紹介していただく。
膝の専門外来があるので先生の出身病院をすすめられ、少し遠いがそこに行くことに決める。